So-net無料ブログ作成

ナイル3月号掲載評論【震災に思う歌】 [ナイル短歌工房]

 あまり深くは、思い出したくない。けれど、忘れてはならない。2011年、3.11、東日本大震災。

 復興税が導入され、予算が組まれ、多額の寄付金が集まったにもかかわらず、復興自体は遅々として進んでいない。知人の住む自治体では、商店街の仮設を海外の援助に頼ったと聞いている。東京電力福島第一原子力発電所の廃炉計画は2~5年延期された。一方、政治や一部の業界は、東京オリンピックやカジノ解禁に沸いている。この国は何なのだろう。どこへ向かっているのだろう。

 筆者は、仕事場で地震にあった。横浜が津波の危険にあることを、デパートのアナウンスで初めて知り、自宅への途中まで歩いたところを夫に拾ってもらった。自宅は家財が倒れ、さんざんなありさまだった。ナイルの同人にも被災地の在住者がおり、阪神・淡路を含め、震災の体験者は多いことと思う。

 震災後、さまざまな歌人が関わった。2012年3月号の『角川短歌』では、「震災大特集 3.11以降、歌人は何を考えてきたか」という特集も組まれ、世代I(木嶋靖生、佐藤通雅、沖ななも、渡英子)、世代Ⅱ(田中濯、光森裕樹、三原由起子、石川美南、司会はいずれも小高賢)という、異なる二世代の対談も組まれた。震災と歌人の関わりについては筆者には到底語り得ないし、先達のことばに尽きると思うので、ここでは、些末ながら感想を交えつつ、できるだけ多くの歌を取り上げていきたいと思う。

 震災直後の4月25五日に、俳人・長谷川櫂の『震災歌集』(中央公論新社)が出版された。震災当日、帰宅難民となった長谷川が、「やむにやまれぬ思い」(前書きより引用)から紡ぎ出した歌集である。この歌集に対する歌壇の反応は、彼の俳人としての立ち位置に言及し、必ずしも温かいものではなかったように思う。個人的には、震災後一ヶ月にしてこれだけの歌が詠まれたことを、それを装丁・出版した人々の努力と併せて、評価されてもよいのではないかと感じている。

  津波とは波かとばかり思ひしがさにあらず横ざまにたけりくるふ瀑布
  嘆き疲れ人々眠る暁に地に降り立ちてたたずむ者あり
  被曝しつつ放水をせし自衛官その名は知らず記憶にとどめよ
  原子炉に放水にゆく消防士その妻の言葉「あなたを信じてゐます」
  (長谷川櫂『震災歌集』)

 東京電力福島第一原発は、震災で大事故を起こした。
 原発禍を危惧して避難した人は多い。

 俵万智は『歌壇』2011年9月号に、第二の代表歌ともいうべき歌を発表した。

  子を連れて西へ西へと逃げてゆく愚かな母と言うならば言え(俵万智)
  (『歌壇』2011年9月号)

 この歌には賛否両論あった。当時は原発禍がこれほど長引くとは考えられなかったこともあるが、私は、震災後すぐに、ただでさえ不安な子供を連れて、一日ごとに移動してゆくことに疑問を感じた。気を張った母を見る子はつらい。ツイッターによるとご子息は、精神的に不安定な様子を呈したようなので、子を持たない身ながら疑問はなおさらだったが、現在振り返れば、被災地に残ることと移住することの両方の選択肢があったと思う。

  震災の映像見れば指しゃぶりいよよ激しき七つの心

 俵は同時に以下の歌を詠んでいる。

  山形へ向かえば外は雪景色あきれるほどの美を見せつけて
  ゆきずりの人に貰いしゆでたまご子よ忘れるなそのゆでたまご
  まだ恋も知らぬ我が子と思うとき「直ちには」とは意味なき言葉

 南の島に暮らし始めた俵が残した歌。

  島に来てひと月たてば男の子アカショウビンの声聞きわける
  醤油さし買おうと思うこの部屋にもう少し長く住む予感して
  「帰る理由」「帰らぬ理由」並べれば角のとれないオセロのごとし
  孟母にはあらねど我は二遷して西の果てなるこの島に住む
  第三者的には「軟禁」とも言える免許を持たぬ離島の暮らし
  (『短歌研究』2011年10月号)

 大口玲子もまた、子を連れて避難した歌人のひとりである。若山牧水賞、芸術選奨文部科学大臣新人賞をダブル受賞した歌集『トリサンナイタ』(角川学芸出版)には、仙台での妊娠・出産から、震災後に夫と離れ住む決意をして移住する、一連の歌々が編まれている。

  水、電気、ガス止まりたるを言ふわれに「津波と原発」と夫は苛立つ
  今となりて思へばいつときの揺れなりきそののちの時間長く続けり
  命ありて集まれるミサののちにして司祭一人の死は告げらるる
  許可車両のみの高速道路からわれが捨ててゆく東北を見つ
  晩春の自主避難、疎開、移動、移住、言ひ換へながら真旅になりぬ
  八月のゆふべ群青の計測器(ガイガー)の線量高き街で抱き合ふ
  原発を離るれば夫も遠くなりSkype(スカイプ)の画面に小さく欠伸す
  雪降らばかなふ願ひと思ふとき大風呂敷を広げよ夫よ

 被災地にとどまり、作歌を続けた歌人もいる。

 城県在住の佐藤通雅は、2013年に歌集『昔話(むがすこ)』(いりの舎)を発表した。ここには、2011年から2012年にかけて詠んだ歌が収められている。

  着の身着の儘床にもぐりて耳は聞く壊滅しゆく三陸のさま
  冷凍の肉(しし)のごとくに冷えきりし肩にてのひら当てて明け待つ
  せつかく生き残ったのだから――とはいへど体に杭打つごときこの寒
  家族不明も家屋流出も日常語の抑揚のうへに載せて語らる
  内部被曝測らばわれも例外といふわけにもいかぬ 金魚よ
  歌ができぬもうほんたうにできぬかもこみどりの葉をぬらしてぞ雨
  昔(むがす)むがす、埒(らづ)もねえごとあつたづも 昔話(むがすこ)となるときよ早(はよ)来よ

 やはり宮城県在住の梶原さい子の『リアス/椿』(砂子屋書房)にも、死者を鎮魂し、生きる人をみつめる震災詠が多数収められている。

  誰かゐないかあ叫びつつ駆ける廊下なりガラスを踏んで下駄箱越えて
  校庭に地割れは伸びて雪の飛ぶ日暮れを誰も立ち尽くしをり
  お母さんお母さんと泣きながら車で行けるところまでを行く
  「壊滅」と聴こゆるたびに苦しくて陸前高田市南三陸町
  布団また駄目になりたり板の間に拭いても拭いても沁みてくる潮
  この米が誰かを傷つけるなんて青ずむ粒を擦りあはせをり
  ぎざぎざの海岸線を咲き継いでゆく椿なり咲き継いで照らす

 ライフラインが絶たれ、復興は果てしもないと思われた。冒頭に書いたように、現在も未だしの状態なのであるが。

 原発による汚染から、飲料水や食品についての出荷制限や検査が始まった。検査を通過した商品が流通しているはずなのに、筆者の近所のスーパーでは、被災地の食品が売れ残る光景がずいぶん長いことみられた。

  はうれん草放射性物質検出すそののち汚染野菜ぞくぞく
  如何せんヨウ素セシウムさくさくの水菜のサラダ水菜よさらば
  (長谷川櫂『震災歌集』)
  近海もの国産ものを避けながら寂しき母の午後の買い物(俵万智『短歌研究』2011年1月号)
  福島産トマトが身籠るセシウムの真っ赤な鬼を囲める夕餉(波汐國芳『塔』2012年1月号)

 筆者自身は悩んだが、「ナイル」2011年6月に連作を編んだ。その際は、他の結社の歌友と真剣に意見を交わした。被災者でなく、現地を知らない者が詠んでよいか迷い、苦しい作歌だったが、今となっては詠んでよかったと思っている。

 被災地の知人のもとにはふた夏続けて、学生や社会人のボランティアが訪れたと聞いた。その際の映像をユーチューブで見たが、ふた夏目の終わりになっても側溝の泥出しが終わっていないことに驚かされた。被災地に住んでいなければ、かくも忘れっぽいのである。

  ふたとせを訪(と)ふ若きらと語りあふみちのく人(びと)におそ夏の風
  (拙作、第十回海外日系文芸祭入選)

 身近なところでは、日本短歌協会が2012年7月1日に、復興支援の一環として、「第2回全国短歌大会―短歌を通じて文化・精神生活の復興再建を」を仙台で開催した。検索したところ、現代短歌新聞では「被災地から」という連載が組まれ、各地で短歌についてのフォーラムなども開催されている。

 本稿では震災を歌った歌人を取り上げたが、歌っていない、または沈黙している歌人もあることと思う。震災を歌う自由、歌わない自由。考えは尽きない。

 原発については、いろいろな意見があろう。ただ、福島第一原発の事故で、国土の一部が住めない土地になったことは確かなのだ。廃炉までには40年と言われているが、廃炉先進国イギリスでは、無事故の原発で90年と予測されているのである。

 俵万智は前出の『歌壇』2011年9月号で、以下の歌を詠んでいる。

  チェルノブイリ、スリーマイルに挟まれてフクシマを見る七時のニュース
  簡単に安心させてくれぬゆえ水野解説委員信じる

 三原由起子の出身地である福島県双葉郡浪江町は、原発事故で大きな被害を受けた。

  iPad片手に震度を探る人の肩越しに見るふるさとは 赤
  原発に何か起こりし予感して実家に電話をかけ続けるのみ
  ガソリンの途絶えし山の避難所に町民は爆発音を聞きをり
  いま声をあげねばならん ふるさとを失うわれの生きがいとして
  「原発さえなければ」という台詞には収まりきれない現実を見る
  (三原由起子『ふるさとは赤』(日月叢書―ホンアミレーベル))

 三原は、原発を受け容れてきた土地の複雑を抱えつつ、こう歌う。

  しんしんと心の底にたまりゆく浪江の人の声を掬いつ
  
 2014年6月12日、19日の2回に分け、NHKの「ハートネットTV」で「震災を読む」という特集が組まれた。番組の概要、入選歌はホームページで見ることができる。(http://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/calendar/2014-06/12.htmlhttp://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/calendar/2014-06/19.html

 番組には全国から約700首の歌が集まったという。放射能の汚染による避難かどうかに関わらず、いまだに帰宅できない人がどれほどいることか。歌い続けなくてはいけないかどうかは別として、忘れてはならないのである。

 最後に、時系列的には震災より前に詠まれた歌ではあるが、以下の一首をあげて筆を措く。

  プルトニウムの昧爽(よあけ)よ来よと思ひけむ希(ねが)ひけむされど人智さびしき
  (岡井隆『瞬間を永遠とするこころざし』日本経済新聞出版社)

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0